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Keith Haring: Into 2025 誰がそれをのぞむのか

2024/06/01 (土) - 2025/05/18 (日)
会場:中村キース・ヘリング美術館
主催:中村キース・ヘリング美術館
後援:米国大使館、山梨県、山梨県教育委員会、北杜市、北杜市教育委員会

1980年代のアメリカ美術を代表するアーティスト、キース・ヘリング(1958-1990)。明るく軽快な作風で知られる一方、彼の作品の根底には社会を鋭く洞察する眼差しがありました。本展は、時にユーモラスに、時に辛辣に社会を描写し、その行く末を大衆に問いかけ、平和と自由へのメッセージを送り続けたヘリングの姿を紹介するものです。
ヘリングが幼少期を過ごした1960年代は「スペースエイジ」と呼ばれ、長期化する冷戦を背景に技術開発競争が活発化し、宇宙開発やインターネット普及の研究が進むなど、現代においては欠かせなくなった情報技術の礎が築かれた時代でした。普及したばかりのカラーテレビに映る原色の光景に衝撃を受けたヘリングは、「初めてテレビ放送された戦争」といわれるベトナム戦争をブラウン管を通して体験したことなどから世界の動きに強い関心を持ち、雑誌などを通して好奇心のおもむくままに知識を深めていきました。
故郷のペンシルベニアを離れてニューヨークへ移り、本格的にアーティストとして活動を行った1980年代、世界にはかつてない数の核弾頭が存在しました。その大部分を保有するアメリカでは軍拡政策への反対運動が活発化し、1982年6月、現在でも米国で史上最大規模といわれる反核デモがニューヨークで行われました。ヘリングはこのデモのために《核放棄のためのポスター》を制作し、セントラル・パークで2万枚を配布することで核放棄を訴えました。本展の前半では、このように80年代の反戦・反核運動をアートの力で後押ししたヘリングの姿、そして大衆へ効果的にメッセージを届けるための媒体と手法を模索しながら、平和と自由をテーマとして制作された作品をご紹介します。
本展の副題は、ヘリングが広島平和記念資料館を訪れた際に日記に残した「これが再び起こることを誰が望むだろうか?どこの誰に?」という言葉に着想を得ています。1988年、広島で行われた原爆養護ホーム建設のためのチャリティコンサート「HIROSHIMA ’88」のメインイメージを手がけたことをきっかけに、ヘリングは被爆地ヒロシマを訪れました。原爆ドームや広島平和記念資料館へ足を運び、戦争の悲惨さを目の当たりにしたヘリングは、平和への思いを形にすべく壁画制作を申し出ますが、実現には結びつきませんでした。本展の後半では、これまで本格的な調査のなされてこなかったヘリングの広島訪問の経緯を探り、広島への思いを明らかにします。
今なお世界には1万2000にのぼる核弾頭が存在し、絶え間なく戦争が続くなか、2025年には第二次世界大戦の終結から80年の節目を迎えようとしています。本展は、ヘリングの眼差しを通して世界が抱える課題に向き合い、現代における「平和」や「自由」の意味について考えることを目的として開催されます。

HIGHLIGHTS

見どころ

1. 反戦・反核を訴える作品群

1980年代、激化する冷戦を背景に、世界はかつてない数の核を保有していました。ヘリングは、アートを媒体に多様な手法で社会に向けて反戦・反核のメッセージを投げかけました。ニューヨークで行われた史上最大規模といわれる反核デモのために制作し、セントラルパークで無料配布を行った「核放棄のためのポスター」(1982年)、チェックポイント・チャーリー博物館の依頼を受けベルリンの壁に描いた壁画(1986年)のドキュメント写真、ウィリアム・S・バロウズ(1914-1997)の10篇の詩に併せてヘリングが混沌とした世界を描き出した版画シリーズ《アポカリプス》(1988年)といった作品群からは、核の脅威にさらされる一人の若者の恐怖が垣間見えると同時に、不安や絶望に抗い未来への警告を試みたアーティストの姿が伺えます。

2. 平和・自由へのメッセージ

ヘリングが生涯一貫して希求した「平和」と「自由」という主題には、アメリカの歴史や80年代当時の世界情勢が色濃く反映されています。本展では、1987年に東京都多摩市の複合文化施設「パルテノン多摩」の開館に際して招聘されたヘリングが、500人の子どもたちと制作した《平和I-IV》、《マイ・タウン》、《サウンド・ツリー》や、1986年に「自由の女神」完成100周年を記念してヘリングが1,000人の子どもたちと共同制作した約30メートルの作品《シティキッズ自由について語る》をおよそ1/5サイズの再制作品と資料で紹介します。子どもたちのために制作された数々の作品を通して、制作から40年近くの年月が過ぎようとする現在に、これらの作品に込められたメッセージについて考えます。

3. キース・ヘリングと広島

1988年、ヘリングは、広島で行われた原爆養護ホーム建設のためのチャリティコンサート「HIROSHIMA ’88」のメインイメージを手がけたことをきっかけに、広島を訪れました。原爆ドームや広島平和記念資料館へ足を運び、戦争の惨さを目の当たりにしたヘリングは、平和への思いを形にすべく壁画制作を申し出ました。しかし、このプロジェクトは実現することがありませ んでした。本展では、調査のなされてこなかったヘリングの広島訪問の経緯を辿り、その足跡を紹介します。

INSTALLATION VIEW

インスタレーションビュー

Photo by ©︎Midori Kondoh

FEATURED ARTWORKS

主要展示作品

《無題》1982年

核放棄のためのポスター、1982年

ジョセフ・スコジンスキー、ノー・ニュークス・ラリー後キース・ヘリングが核軍縮ポスターを配る様子、1982年 ©Joseph Szkodzinski 2023

《無題》1984年、キース・ヘリング財団蔵

《アポカリプス》1988年

《シティキッズ自由について語る》1986年(2024年再制作)

《マイ・タウン》1987年、公益財団法人多摩市文化振興財団蔵

《ベスト・バディーズ》1990年

《無題》1988年(2024年複製)、キース・ヘリング財団蔵

「HIROSHIMA ’88」のためのポスター、1988年

SPECIAL EXHIBITION

特別展示

橋本 公《1945-1998》

橋本 公《1945-1998》2003年、映像(カラー、音声、14分23秒)、作家蔵

アーティスト・ステートメント

2053回。地球上のさまざまな場所で、これまでに実施された核爆発の回数である。*世界初の核爆発実験は、1945年7月、米国ニューメキシコ州の砂漠で行われた。その直後に広島、長崎と、立て続けに原爆が投下され、以後1998年までに計2053回にわたって実験は繰り返されてきた。1960年代始めまでは、ほとんどの実験は大気圏内で実施され、それにより大規模な放射能汚染がもたらされた。1963年、米ソ英の三国が「部分核停止条約」に調印し、地下での実験が主流になるものの、フランスや中国などは地上での実験を続けた。その後、世界的に反核の動きが強まり、ようやく「核不拡散条約」(NPT)が発効した。核兵器保有国の数を増やさないことで核戦争の可能性を少なくしようという取り決めである。続いて1996年には「包括的核実験禁止条約」(CTBT)が採択され、1998年をもって爆発を伴う核実験は停止されている。しかし、アメリカとロシアは国際社会の批判を無視して、核爆発を伴わない臨界前核実験を続けている。この作品では、1ヶ月を1秒に短縮してその歴史を一望する。どの国の人々にも伝わるように、文字はいっさい使用していない。世界地図上の光の点滅と実験回数を示す数字だけで、いつ・どこで・どの国が何回、核実験を行ったかを、目と耳で知る。いま存在する深刻な問題と、それを知らない人たちとを繋ぐインターフェース。そういうものを作ろうと考えた。
*北朝鮮によって実施された2006年10月、2009年5月、2013年2月、2016年1月、2016年9月、2017年9月の核実験を除く

橋本 公(はしもと・いさお)

1959年、熊本県出身。金融業界で17年間働いた後、箱根ラリック美術館で15年間主任学芸員を務め
る。現在は国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で主に企画展と被爆者証言ビデオの制作を担当。
核兵器の恐怖と愚かさを表現するアート作品は《1945-1998》の他に、《Overkilled》、《The Names
of the Experiments》がある。

RELATED VIDEO

関連動画

関係者への聞き取り調査やヘリング自身の日記に残された記録を元にあきらかになった広島でのヘリングの足取りを、現在の広島で撮影された映像でたどります。

RELATED EVENTS

関連イベント

関連イベント①

キース・ヘリングが見た広島
会期:2024年7月21日(日)ー7月25日(木)
会場:旧日本銀行広島支店
主催:中村キース・ヘリング美術館
共催:世界の子どもの平和のための平和蔵(せこへい)をつくる会ヒロシマ
協力:キース・ヘリング財団、シティキッズ財団、一般社団法人HAP、大型出力屋
 
本展の関連イベントとして5日間限りのイベント「キース・ヘリングが見た広島」を旧日本銀行広島支店で開催しました。この建物は、かつての広島の主要な銀行であり、1945年8月6日に爆心地からわずか380メートルという近距離で被爆するも、その堅牢な構造により倒壊をまぬがれ、1994年に「旧日本銀行広島支店」として被爆建物に指定されました。
本イベントでは、調査を経て明らかになったヘリングの広島訪問の経緯、滞在中の動向、没後の後の出来事について、ヘリングと広島の繋がりを示す資料を交えて時系列紹介する資料展示をメインに、来場したすべての15歳以下の子どもたちへワークブック『キース・ヘリングと平和を描こう』の無料配布、誰でも参加できるワークショップ「平和のメッセージをトーチにともそう」を実施。ワークショップにおいては、1986年に「自由の女神」完成100周年を記念してヘリングが1,000人の子どもたちと共同制作した作品《シティキッズ自由について語る》のトーチ部分を再制作し、来場者が平和のメッセージや絵を寄せ作品が完成しました。

Photo by ©︎Hanna Yamamoto


関連イベント②

キース・ヘリングと平和をえがこう
会期:2024年8月6日(火)、8月9日(金)、8月15日(木)
会場:中村キース・ヘリング美術館
 
会期中に来館されるすべての15歳以下の子どもたちへワークブック『キース・ヘリングと平和を描こう』の無料配布および、各日午前と午後に2回のワークブックを用いた学芸員によるギャラリートークを実施しました。6日から5日の期間中、館内のオープンスペースには自由に使用できる画材を用意。子どもたちは思い思いにワークブックに取り組みました。


関連イベント③

第33回多摩市平和展
会期:2024年8月18日(日)、8月19日(月)
会場:パルテノン多摩 オープンスタジオ

東京都多摩市にあるパルテノン多摩で開催された「第33回多摩市平和展」にて、ワークブック『キース・ヘリングと平和をえがこう』を15歳以下の子どもたちに無料配布しました。
1987年に市の複合文化施設としてオープンしたパルテノン多摩では、オープン記念イベントのためにヘリングが来日し、500人の子どもたちとともに作品を制作しました。
このヘリングと多摩市のつながりを背景に、今回の平和展では2日間にわたってワークブック配布イベントを実施させていただきました。平和展を訪れた子どもたちへヘリングの紹介を行いながら、自由にワークブックに取り組んでいただく場を提供しました。